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指示待ち人間が生まれる原因は、組織のシステムにある可能性も

多くの企業は、上司の指示に従うだけでなく、自ら考えて行動できる人材を求めていると言われている。
しかし、どうしても「指示待ち人間」は出てきてしまうものだ。

 

どんな些細なことでも「どうしたら良いですか?」と質問してくる主体性のない部下に悩まされている上司も少なくないだろう。
「まずは自分の考えをまとめてから来て」と何度も伝えたところで変わる様子はない。

質問があればまだ良いほう、という場合もある。
問題が目の前で起こっているのにもかかわらず、上司が何か言って来るまで報告もしない若手。
「報連相をしっかりしよう」と伝えても変わらないのは、経験不足や主体性のなさにより、報連相すべきことの取捨選択ができないのだろう。

 

ただし、こういう状況のときに上司は部下に変わってほしいと願い試行錯誤するのだが、実は組織のシステムに原因があるケースもあるということを忘れてはいけない。
組織のシステムが整っていないと、どうなるか、スティーブン・R・コヴィー博士は著書『第8の習慣』で次のように述べている。

マネージャーは自分の手に負えないと感じ、ルールで締めつけようとする。失われた信頼を補うために、煩雑な手順や規則、一方進行の上意下達が幅を利かすようになる。「人材はわが社の一番の財産だ」とか「リーダーの育成」といったスローガンをいくら掲げていても、内実は社員を「コスト」としか見ていない。会社にとって社員は人格を持った人間ではなく、扱いにくいモノでしかないのだ。単なる経費でしかないなら、能力を引き出すための投資などしない。コストのかかるモノに対してはマネジメントの度は増す一方だ。これでは社員のほとんどが「指示待ち」になるのも当然である。すると経営者のほうもエスカレートし、「飴と鞭」でやらなければ物事は進まないと考えるようになる。モチベーションを与えてうまく操り、必要とあらば鉄拳を下す。社員が受け身だからコントロールが必要なのだと正当化するわけである。しかしコントロールするほど受け身の姿勢を助長する結果になる。

残念ながら、「飴と鞭」というやり方では、たとえその場では部下が動いてくれたとしても、長期的に部下が奮起し、持ちうる最大限の力を発揮してくれることはないだろう。

これは決してマネジメントが不要だと言っているのではない。
マネジメントとリーダーシップは、車の車輪と同様、両方が重要なのである。

コヴィー博士は、リーダーシップについて次のように定義している。

リーダーシップとは、平たく言えば、人々にその人自身の人間としての価値と可能性を明確に伝え、自分の目で見えるようにすること、である。この定義を考えてみてほしい。人に影響を与え、長く続く真のリーダーシップの本質ではないだろうか?個人としての価値と可能性を明確に、力強く、繰り返し伝え、本人に気づかせることから、見る、実行する、なる、というプロセスが動き始めるのである。

人に個人としての価値と可能性を伝えるためには、「信頼」に基づく人間関係が欠かせない。

組織内に信頼関係ができていなければ、あなた自身が信頼性を高め模範になろう。

 

部下の能力に気付き、認め、重要な仕事を任せる。
そして丸投げではなく、チームの方向性を定め、体制を整え、メンバーから求められたら力を貸すことも必要だ。

 

「指示待ち人間」になってしまった人の心に、燃え上がるような火を灯してほしい。

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